2014年10月01日

硫黄島

かなり前に「父親たちの星条旗」と、「硫黄島からの手紙」を映画館で観た。ハーネス (1)
ちょうど私が戦争の史実を調べている時に、テレビで「硫黄島からの手紙」を観る事が出来た。

その後、色々調べて、いくつかの証言を発見した。

1945年2月、アメリカの作戦記者会見でスミス中将が
「硫黄島は5日で陥落予定だが、死傷者は15,000名を覚悟している」
と語ったそうだ。

私は戦いの最後に、アメリカ兵が摺鉢山に星条旗と立てたのだと思っていた。
当時、日本の通信兵として硫黄島で戦いを経験した方(生還)の証言で
「あの星条旗は、アメリカの予定通り5日目に立てられた。しかし翌日見ると、日の丸に変わっていた。そしてそれは、その日のうちに、星条旗に変えられていた・・が、翌日見ると、また日の丸に変わっていた」という。
いったい何度繰り返されたのだろうか。
わずか169mとはいえ山の上は、狙撃されやすいはずの場所なのに・・・。

ハーネス (2)栗林中将は、映画の中でも言っていたが、1日でも長く硫黄島を死守する事が米軍による本土空襲を阻止する事に繋がると考え作戦を立てたようだ。
この考え方からも、中将は結果を予想して生還できない事を覚悟の上の着任と思われる。
当初、5日間で15,000名を覚悟された作戦も、実際には37日間28,686名の死傷者を出した米軍。

栗林中将は映画の中で最後に
「今より総攻撃をかける。日本が戦に敗れたりと言えど、いつの日か国民が、諸君等の勲功を称え、諸君等の霊に涙し黙祷を捧げる日が必ずや来るであろう……!安んじて国に殉ずるべし!」と、言っている。
この時、約20,000名の日本兵の96%が戦死して、残った数百名の兵と共に命を散らす。

国旗と国歌の重さを実感しました。

写真は、寝ていて寝ぼけて前足を捻挫したらしいリコの為に買ったハーネス。
わずか4日間で、「捻挫らしき」は治りました。







azumaeng at 09:00│Comments(0)TrackBack(0)

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